オステオパシーの歴史
オステオパシーの歴史

(写真掲載許諾:AAO会長・2000年3月)
オステオパシーは、ヴァージニア州ジョネスビルで、メソジスト協会伝道師の息子として生まれた、アンドリュー・テイラー・スティル博士によって、1874年(明治7年)にアメリカのミズーリ州カークスビルで発表された徒手療法です。オステオパシー(OSTEOPATHY)の言葉の意味は、ギリシャ語のオステオス(骨)とパソス(病気/治療)という2つの言葉から作られた造語で、スティル博士の「健康か、病気かは身体の構造と関連する」という考え方をあらわしています。
スティル博士は南北戦争に従事した内・外科医でしたが、自身の3人の娘を流行性脳脊髄膜炎で次々となくすという体験から、この時代に用いた砒素・水銀などの薬剤治療の効果に疑問をもちました。
その後10年間の研究から、「人間の身体には自然な回復力が備わっているが、血液循環や神経支配機能が妨げられると、それがうまく働かなくなって不調となる。そのような循環を妨げる主な原因は、身体の各部をつなぐ関節の動きの低下といった構造上の問題にある。」という基本的な考えをまとめました。
当初こそ医学界から受け入れられませんでしたが、その効果は多くの一般市民から指示され、1892年にはオステオパシーの最初の学校をミズーリ州カークスビルに設立し、1910年には医学として公認され、スティル博士が89歳でなくなる頃には全州で公認されるようになりました。現在では全米に多くのオステオパシー医科大学が設立され、手技療法の専門医が養成されています。
日本のオステオパシー

(写真掲載許諾:AAO会長・2000年3月)
更に1899年には、Dr. ウィリアム・ガナー・サザーランド D.O.により、それまで一般医学では可動性があるとは考えられていなかった、頭蓋縫合での関節のメカニズムの研究がなされ、頭蓋に対するオステオパシー療法という新しい分野が開拓されました。
その後、世界の多くのオステオパスによって、関節のみならず筋肉、筋膜、内臓などに対する様々な治療テクニックが開発され、高い評価を得ています。
日本に最初にオステオパシーが紹介されたのは、明治の終わりごろ、1910年前後と伝えられています。
現在のところ入手可能な数少ない資料の1つである、大正9年に発行された「山田式整体術講義録」によると、大正の初めにはすでにオステオパシーは無薬療法として施され、効果をあげていたことが判ります。この本の中ではオステオパシーという言葉がはっきり使われており、書籍をアメリカから直接取り寄せて研究したとも書かれています。しかし、ほかの療術と合わせて編み出した方法を「整体術」として紹介し、講義したため、オステオパシーとして伝えられることがないまま広まっていったと思われます。
当時オステオパシーを学んだほかの人々も同様に自分なりの方法を加えたり、昔ながらの徒弟制度の技術の伝え方のため、徐々にオステオパシーの原型は変化していまい、オステオパシーという言葉も伝わらなかったと考えられます。
その後欧米からの情報が途絶えていた時期が長く、戦後になってようやく交流が再開され、イギリスのDr. アラン・スタッダードが2度来日しました。その後、カリフォルニアのオステオパシー大学の学長とオステオパシー総本家のカークスビル大学のテニング学長以下2人の教授が来日してセミナーを行い、改めて本格的に日本にオステオパシーが紹介されるようになりました。
現在は毎年多くの国際セミナーが開催され、世界の最新技術・情報がもたらされ、AAO(American Academy of Osteopathy)をはじめ、世界のオステオパシー業界と活発な交流があります。
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