サムライオステのまた欧米かよ! しかし実際に研究を実行していくというのは、多大な時間と労力と資金を消費する。特に家庭のあるものであれば、そこに使う時間がかなり減ってしまう。読者の中で何かしら論文を書いたことのある人であれば、研究者が経験する苦労の一部分はお分かりだろう。それでも研究を行なって公式に発表していくことが、この先の国内のオステオパシー界においてとても重要である。 それは、オステオパシーに精通する仲間だけではなく、新しい軸の仲間を得ることになるだろう。何故ならば、それに賛同してくれる医師をはじめ、カイロプラクター、理学療法士、他の治療士などと研究協力をしていくことが可能だからである。それによって今よりも次元の高い、幅広い枠組みでコミュニケーションを取れるように なるかもしれない。興味を持つ大学機関や政府の枠組みに入れるチャンスが来るかもしれない。 多くのケースで給料は出ないかもしれないが、自分が日頃持つ質問や悩みを研究で実証実験することで、手技療法関係者や患者からの理解度を大きく上げるチャンスが生まれ、その恩恵を未来のオステオパスが受けることができる。そして最終的には学者が認め、医者が認め、国が動くようになるかもしれない。 このように、自分が生活するエリアの住民、仲間、役人たちとオステオパシーを通してコミュニケーションをとって、共通の目標に向かって行動するという方法は、まさにスティル博士が、メーコンやカークスビル市で行なってきた活動そのものである。スティル博士だけではない、多くのオステオパスが年月をかけて得ることができた権利なのだろう。最後にはミズーリ州だけでなく、アメリカ合衆国で保障されるサービスとしての権利になっていったのだろう。そのように、今回の旅で僕は感じた。 あれこれオステオパシーについて話していて、自分の腕時計を見ると5時間経過していた。ミッチェルファミリーとの鼎談。後半のフレッドの昔話には、勢いがある。「チャタヌーガ チューチュー」という曲のことだったり、彼の重度の火傷の話しと、オステオパスに助けてもらったことで今まで生きてこれたエピソードを教えてくれた。 危機一髪、ゲーリーリネカー あのまま座っていたら、二人はその他たくさんのことを話してくれたであろう。できれば、そうしたかった。しかしこの30分後に、大学時代の友達と夕飯を食べることになっていた。そして、それ以上に、何故か自分のお腹が痛い。会話が4時間を経過したあたりから、お腹がグルグルしているのには気づいていた。初めは我慢できていたものの、腹痛の度合いがどんどん上がっていた。こんな大事な時に…何故なのだ。そして、ハッと気が付いた。あれだ! 昨晩も今朝も食べたハラペーニョ入りのメキシカンソースである。レストランのオーナーの言葉が頭をよぎる。「このワカモレソース美味いだろう。ハラペーニョが50%だぜ。気をつけて食べろよ!」。自分の額から変な汗が出てくる。トイレへのカウントダウンはもうすでに始まっていた。 さてさて事は1回で済む気がしなかった。そして何度もトイレに行ったら、フレッドたちが気にするだろう。まさか巨匠の家のトイレで、後味の悪いゲーリーリネカーだけはしたくなかった。気持ちの悪い汗をかきながらも、苦しみながらなんとか堪えた。その後10分ほどして、僕ら夫婦はミッチェル家を後にした。車での移動中はかなり苦しかった。「もう間に合わないかも…」と思った瞬間、目の前にガソリンスタンド。「砂漠にオアシス」の比
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