JOA Journal No40 2019.夏
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サムライオステのまた欧米かよ! 夕方にはジェーソンと別れて、KCOMのリサーチ棟へ行って、大学が力を入れているリサーチ内容が掲載された複数のポスターをじっくりと読んでいった。 僕が大学で見た触診と正確性の研究は、非常に高度で誰もが理解できるようになされていたが、使用される技術がどのようなロジックで効果を発揮し、良くなっていくのかもっと研究されるべきだと考えるようになった。 オステオパスの道を歩む日本の同志達へ 聖地カークスビルを自分の足で歩いてみると、スティル博士がいかにしてオステオパシーを見つけて、それを信じる仲間を増やし、どのようにオステオパシーという考え方から医療へと発展させ、学校や人材を成熟させて今に至るのかがとても良く理解できた。実際に自分の目でそれを注視してみると、我らの日本社会でも使えるノウハウがたくさんあったように見える。 スティル博士は、カークスビル市で働く裁判官や関係者を治療して、オステオパシーという新しい治療がどのようなものなのか理解を得ていた。そして街の中の多種にわたる職種の人を治療することで、オステオパシーが市民によって支持されていった。ここに、日本のオステオパシーのさらなる発展の鍵があるのではないかと僕は考えている。1890年代も現在も変わらないことだが、人とのコミュニケーションから生まれる信頼、そこから得られる新たな知恵だ。ここを忘れてはならないと、自分の心にしっかりと刻んだ。 日本もアメリカ合衆国も、国や政策は違えど、同じ人間が行う資本主義の国だ。我らの国だって裁判官の友人は作れるだろうし、毎日痛みを抱えて一生懸命に働く街の人たちは、僕らの隣に住んでいるだろう。いつの時代も、行動がすべてなのだ。行動なしでは、自分の求める経験や目的を実行することなどできるはずがない。笑顔と共に話すことを忘れずに生きていこう。内輪同士でオステオパシーを語るだけではなく、他の職業の人間と語ることで、自分にとって新しく良質な意見を得ることができる。その意見というのは、時として厳しいものもあるだろう。それでもダイヤモンドの鉱石のように、それを磨いてシェアすることで、現代のオステオパシーの発展につながるのだ。それをせずに己の生活で疲れ果てるだけではあってはならない。まずは、自分の良心の向く方向へ歩き出そう。まずは、一緒に歩き出そう。 聖地2日目 次の日の早朝、KCOMの売店で大学Tシャツやその他グッズを購入して、博物館のアーカイブから1900年代初期の生徒リストを見せてもらう。今でもオリジナルの記録が紙で残っており、手に取って見せてくれた。そこには、初めてカークスビル大学でオステオパシーを勉強した根本博士の記録も残っている。彼は日本帝国のサポートで、アメリカ合衆国の刑務所における囚人の取り扱い方について勉強するというミッションで渡米した。その後、オステオパシー医学について知ったのちカークスビルにて勉強をして帰ったという。

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