JOA Journal No40 2019.夏
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今回治療することになったのは、12人の子供を産んだお母さん。歳は恐らく30代後半という感じだろう。その サムライオステのまた欧米かよ! お母さんは、4週間前から頭痛に悩んでいて、キリスト様に誰かが助けてくれるのを毎日お祈りしていたと教えてくれた。そしてやってきたのが、黄色人種のサムライオステということになる。頭痛を持つお母さんをはじめ、お父さんも子供達も黄色人を見るのは初めてのことらしく、珍しそうに見ていた。アーミッシュのお母さんは、髪型も服装もまるで1800年代後半のものである。服を留めるのは、裁縫で使うようなピンである(安全ピンは使っていなかった。現代の物だからだろうか)。服装はどこかオクトーバーフェスト(毎年ドイツミュンヘン市で行われる世界一のビール祭り)で見るような、南ドイツの女性民族衣装である「ディーンドル」にも似ている。頭に頭巾をつけていたので、治療のために外してもらうことになった。その中にはゴム無しの黒い布バンドで頭をコンパクトに纏めていて、それを何十という裁縫針みたいな物で髪と布バンドで留めてあった。僕は心の中で、「そうか、これが1800年代の女性スタイルなんだな」と理解した。 実際に頭、首、胸椎を触診すると、半端ではないくらい後頭下筋が硬直していた。そして首の筋肉の発達は、今までに観たことのない強くて太い筋繊維だったのを記憶している。頸椎の屈曲筋肉(特に斜角筋と胸鎖乳突筋)がとても硬く、まるで24時間休みなしで働いている首のようだった。胸骨7、8、9番あたりが最も曲がっていて、その高さの肋骨もその曲がりに沿って固くなっていた。この緊張を感じ取って「なんだ、このロープのような筋肉は!」と思ってしまったと同時に、これがスティル博士が観ていたタイプの筋骨格系の硬さなのだと妄想すると、少しニヤけてしまった。まさに気分は、映画「バックトゥーザフューチャー」の主人公だった。僕の車はただのレンタカーだったけれど。 その半端ない関節と筋肉の塊を、アーティキュレーションとマッスルエナジーテクニック(MET)を使って1つ1つ緊張を抜いていった。おしまいに、頚骨の面関節の関節包と頭蓋から頚骨と仙骨までの硬膜をクレニアルでチューニングしておいた。彼女の熱心なキリスト様への信心のおかげか、45分ほどで痛みは10%程度までに下がったので、そこで家族に挨拶をして家を出た。 正午に、憧れだったカークスビルの街に到着。オステオパスにゆかりのあるレストランで昼食をとった。その後、カークスビル・カレッジ・オブ・オステオパシックメディスン(KCOM)大学内にある、オステオパシー博物館と大学最古の赤レンガ建物を案内してもらった。100年ほど使用している建物ということだが、最近は老朽化も進んでいるらしく取り壊しが検討されていると聞いた。スティル博士が使っていた当時の建物なので、それを聞いた時はとても寂しく感じた。

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