JOA Journal No40 2019.夏
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サムライオステのまた欧米かよ! 療養所を見学した後、ジェーソンは、ニコニコしながら何か企んでいる様子。彼が提案するには「ゆーじ、この後どうしようか。小雨だけれどもとりあえず、スティル博士の働いていた農地と子供達のお墓参りに行ってみたいか?」「その後アーミッシュの家族のところにも寄ってみよう。そこで子供達を治療するのはいかがかな?」とおっしゃる。僕は思わず、「えっ?」と応えてしまった。その詳細については、後で語ることにする。 チェーンソーを持たない優しいジェーソン 耐えていた。通常、館長さんは多忙にしており、世界中から公演やレクチャーなども頼まれているらしく、世界中のいろんなところに飛んで行く。僕らが持っていったドイツからの小さなお土産なんぞでは感謝しきれないほどの濃厚なフィールドトリップとレクチャーに、僕が魅了されたのはいうまでもなく、オステオパシーど素人の嫁までもが彼のファンになっていた。 失われた3人の命が繋ぐスティル博士の哲学 この地はプレーリーと呼ばれ、その昔北と南の戦いで、何人もの尊い命が失われたエリアだ。昔と言えど、1800年代の話。当時は今のような薬品が身体の病を治したり、癒したりできるわけではなかった。今では「劇薬、毒薬」とみなされる物質を身体に使うことで、痛みを緩和させたり誤魔化すような治療が多かったという。そんな御時世であったので、抗生物質のような特効薬があるわけもない。ひと度、免疫の弱い人間が病原菌に侵されてしまうと、あっけなく亡くなってしまうことも少なくなかったそうだ。スティル博士も、4人いた子供のうち3人を髄膜炎で亡くしていると聞いたことがある。 スティル博士は、メーコンから数十マイルあった土地に農家として入植して、そこで3人の子供達を失った後、家のあった近くの土地に小さなお墓を建てている。今でもそこにはだだっ広い農地と林が一面に広がっていて、当時のままの風景を残しているというのはジェーソンの言。その大きな農地がある茂みの下に、お墓は静かに存在を主張していた。この墓は、100年の間に土の下に埋もれていたものを、オステオパシーに精通したグループが綺麗に取り出して、訪れる人が慰霊できるように管理してきたということだ。その話を聞いて、僕はすかさず若き子供達のお墓の上に手を当ててしまった。 日本人が「ジェーソン/ジェイソン」と聞くと、80年代のハリウッド映画、「13日の金曜日」を思い出すだろうか。あの白くて怖いお面をつけてチェーンソーを振り回す大きな男だ。しかし、館長さんのジェーソンさんは、180度違う。アメリカ合衆国を代表する優しく暖かいハートを持つジェントルマンだ。去年の秋頃に彼のレクチャーをYouTubeで拝見してからメールを通じてコンタクトをとってきた。その彼の文面には、相手を思う優しい気持ちが滲み出ている。半年かけてあれやこれやとカークスビルのオステオパシーについて質問をぶつけてきたが、返答は自分の書いた文章の2倍の情報量で、かつ優しく丁寧に返信してくれた。これぞ、アメリカのまっしぐら男子という感じだ。会ってみると気さくで話好き、根はとっても真っ直ぐである。実際に会って2日間、朝から夕方までずっと僕と嫁の質問攻めによく

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