サムライオステのまた欧米かよ! そこから数百マイルも離れたここジェファーソンシティーでも、その洪水に悩まされているのが見てとれた。ラッシュを行き交う車の隙間から覗いたミズーリ川は、まるで怒っているよう。黒茶色の土砂を含む川水は堤防をじわじわと越えて、その上にある草木をどっぷりと覆ってしまっていた。岸に沿って建てられたサイロや家畜小屋はすっかり冠水して、地面の土が全く見えない。「うわーっ、ヤバイよ」と嘆く隣の妻、惨状に開いた口が塞が らない様子。新聞によると数週間前の5月22日、激しいトルネード(竜巻)が州都を襲い、たくさんの家屋が壊され、3人の尊い命が奪われていた。災害の大きさを目の当たりにしながらも自分達の心を落ち着かせて、目的地あるメーコンへ北上していった。 メーコンでジェーソン メーコンとは、昨日泊まった宿泊所から車でおよそ1時間半ほどにあるとても小さな街の名前だ。そこにあるStill Hildreth Sanatorium(スティル ヒルドレス療養所)で朝の9時に、カークスビルにあるオステオパシー博物館長であるジェーソンと待ち合わせしていた。僕ら夫婦は、待ち合わせ場所に40分も早く到着したので、近くにあったおんぼろカフェに入って2回目の朝ごはんを食べることにした。ミズーリの大衆がどのような話をして朝ごはんを食べているのかを見学したかったというのもある。僕らが座ったテーブルの斜め向かいには、アメリカ中部の訛りで話す3人のおじさん達が、コーヒーカップを片手に聞こえる程度の小声で話していた。僕らがオムレツセットを頼んでから15経つと新たに1人のおじさんが来て、またその15分後には1人のおばさんが入ってきて、笑いも増えて会話のボリュームは、徐々に大きくなった。それにしても、ここのコーヒーはお湯のような薄いコーヒーだ。恐ろしいほどコクも風味も感じない。こんなコーヒーだと、日本では99.9パーセントの確率でクレームが来るだろう。アメリカンのまたアメリカンな薄さとでも言おうか。何度口に含んでもコーヒーを飲んだ気がしないので、コップの半分をぐいっと飲むと、ウェイトレスさんにすかさず継ぎ足された。いわゆる「フリーリフィール(おかわり自由)」と呼ばれるアメリカ独特のサービスだ。正直いってあのコーヒーの味には苦笑いだったけれど、注文したカントリーオムレツも彼女のサービスも最高だったので、チップは多めに渡した。 アメリカ合衆国特有の会話やサービスを肌で感じると、自由の国に帰って来たのだと思えて何故かニヤけてしまう。外から見るメディアの作ったトランプ大統領の国だが、たしかにワンマンでエゴイスティックで困りはてたところはある。それでも実際にこの土地を踏んでみるとアメリカ人の優しさが自分の肌で感じられて、じんわり心が暖かくなる。この理由から、現場主義の行動を忘れてはならぬ。もちろん自分がオジさんになったことで、昔は感じ取れなかった人の優しさが理解できるというのはあるけれど。 その後、待ち合わせ場所に戻りジェーソン館長と合流した。そこから直ぐに彼の熱心なレクチャーを1時間ほど受けた。その療養所は、スティル博士が約100年前に、精神的な病や神経の病を持つ患者らを対象に治療を行った施設であると教わった。療養所となる前は軍が使っていた施設で、三階建ての屋根の中央部分が曇りガラスで作られている。そのため、電気がなかったその当時でも昼間であれば太陽の光が1階まで届くように設計されていた。また当時最高のコンセプトで作られたことや使用されたマテリアルもとても高価なものだったということだ。軍から手放された後に売り出されるものの、高額過ぎて買い手がしばらくの間みつからず、安くなったところをスティル博士が買い取って施設に改造したとのことだ。この療養所は1914年から1968年までの間、使用された。
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