サムライオステのまた欧米かよ! ティーンスピリットを求めて 昨年の秋、かつてお世話になったアメリカ合衆国のホストファミリーのお母さんが、健康の理由から倒れてしまった。医者の診断から見ると、彼女の症状は予想よりは軽かったが、再発する可能性も大きいと判断した。そんなことから、今夏は必ず時間をつくって訪れることを本人と約束していた。 大学生だった頃は、お金が少なくても自由な時間は多いため、たくさんのことを経験できた。一から始める大学生活、大自然での遊び方、初めてのガールフレンド、ワクワクから苦い経験まで全部学んだ。18歳の時から5年半、自分の頭を縦に振りさえすれば、何でも教えてくれた国・アメリカ。あの大国を離れてから、気づけば16年が経過していた。今回の旅は全部で15日間。再び訪れたこの地は、またしても多くの知恵と経験を僕に与えてくれた。その顛末をお話ししようと思う。 まずはテキサス州ダラス・フォートワース空港経由で、アメリカ東部に位置するアーカンソー州の州都・リトルロック市へ現地入りした。空港へ到着すると、20年前と街の姿かたち、匂いまでも何も変わっていないことに気づく。手荷物受け取りのエリアへ行くと、ホストファミリーのお父さん、お母さん、兄弟らと合流。20年前とさほど変わっていない様子だった。当時はいなかったお孫ちゃんたちも加えて、元気よくキスとハグで迎えてくれた。その時の僕と妻(今回の旅には妻も同行してくれた)は、時差ボケ対策であえて一睡もせずここまで来ていて疲労困憊していた身体だったが、ホストファミリーに再会した瞬間、その疲れはどこかへ吹き飛んでしまった。 皆に妻を紹介しつつ、お孫ちゃんらの名前を聞いてみると、その多くはアメリカの先住民族由来の名前が授けられていた。その背景にはホストのお父さんが、シャウニー族の純アメリカンインディアンだからである。お母さんはブロンドの純白人であるから2代目はインディアンとのハーフである。このようなミックスされた家系というのはアメリカには多く存在している。そして、スティル博士の家系もそのうちの1つだ。孫らの名前を聞いていると、自分の「オステオパシーおたく」な血が騒ぎ出した。 僕のティーンスピリットが作られたリトルロック市には、数日間の滞在のみになった。短期間ではあったものの、通っていた短大や大学を訪れ、錆びれつつあるショッピングモールを散歩して過去の思い出を拾い歩いた。また、33度を超える午後3時ごろからお孫ちゃんたちと一緒にプールに飛び込んだり、朝昼晩と食事を共にし、昔話を繰り広げて大笑いした。僕だけじゃない、家族のみんなが楽しそうだった。そんなものだから、出発する前日の夜にホストの母は「ゆうじ、今度はもっと長く来てね」と涙目で訴えてくれた。短すぎたのは、旅行予定を組んだ僕が一番熟知していたけれど、目の前には残り5日間で全走行距離1268マイル(2041キロメートル)のオステオパシー巡礼が待っていた。オステオパスになろうと決意した17歳の時から、出来るだけ早いタイミングで 細田 裕二 BSc, BSc.Ost, MSc.Paed 「サムライオステのまた欧米かよ!」
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